『王子と乞食』の翻訳が完結!
そして、郁弥はかよにサプライズを決行
『王子と乞食』の翻訳を完結させた花子を労うため、聡文堂で祝賀会が催される。その席で、醍醐が退職することと、村岡印刷が英治へ代替わりすることが発表される。郁弥は、『王子と乞食』を単行本化してはどうかと梶原に提案し、皆は夢を膨らませる。また、かよに思いを寄せる郁弥は、ある“計画”を花子と英治に打ち明ける。
翌日、カフェーを訪れた郁弥は何だかソワソワしていた。誕生日のかよに、サプライズでプロポーズしようと思っていたのだ。プロポーズの言葉を小声で練習していると、予定よりも早く楽団員が入店してしまい、その勢いでかよの前に跪きプロポーズ!しかし、かよは、少しムッとして「ばかっちょ」と言い残し、店を飛び出していくのだった。
関東大震災が東京を襲う
花子らに衝撃の事実が告げられる
大正12年9月1日。郁弥から派手なプロポーズを受け、恥ずかしさのあまり店を飛び出してしまったかよは、気を落ち着かせ店に戻ろうとしていた。一方、村岡家にいた花子は、庭で遊んでいた息子の歩とともに空を見上げ、見たこともないような大きな入道雲に驚いていた。そんな最中、突如大きな地震が花子たちを襲う…。
関東大震災から三日後、行方不明だったかよを連れて英治が帰って来た。花子はかよに駆け寄り抱きしめるが、かよはうつろな様子で放心したまま。家の中で花子と平祐は、英治の口から信じがたい事実を告げられる。郁弥がカフェーで火災に巻き込まれ、助からなかったという。かよはショックから立ち直れず、ぼんやりとしていた。
そんな中、吉平・朝市・武(矢本悠馬)の3人が、甲府から救援物資を持って、花子の元へやって来た。花子たちはほうとうを振る舞い、近所の人たちを元気づけようとしていた。そこへ、醍醐が手伝いに、さらには葉山家から解放された蓮子と龍一も顔を出した。吉平たちが甲府に帰る頃には、かよの心も少しだけほぐれていた。
郁弥の遺志を継ぎ『王子と乞食』の
単行本発行に向けて動き出す
関東大震災から半年。村岡印刷が全焼したため、工事現場で働き始めた英治は、ある日、足場から落ちて捻挫してしまう。慣れないことをするからだといさめる平祐に、英治と花子は「一日も早くお金をためて会社を再建し、郁弥の遺志を継いで『王子と乞食』の単行本を出版したい」と話し、出版に向けて下準備を始める。
そんな中、村岡家に突然伝助が訪れる。二人が話す中で蓮子の話題になると、伝助は懐かしそうに蓮子のことを話した。「蓮子は花子の本を読んでいる時が一番ご機嫌だった。本というのは、読む人を夢見心地にするのだろうね。こんな時こそ、花子の本を待っている人が他にも大勢いるはず」と話す伝助に、花子は励まされるのだった。
出版社再建のため、少しずつ資金を貯めていた花子と英治の元に、伝助の紹介だという銀行の支店長がやって来る。銀行の融資が決まり、ついにふたりは念願の新しい出版社「青凜社」を立ち上げる。英治が平祐から印刷機の手ほどきを受け、ついに『王子と乞食』の単行本が完成。郁弥の遺影に供えられた本を前に、平祐の目に光るものがあった。
ばったり出くわした蓮子と伝助
かつてのことを話すふたりは…
村岡家の前でばったり出くわした蓮子と伝助。あえて通り過ぎようとする伝助に、意外にも蓮子が声をかける。蓮子が伝助を連れて来たのは、かよの屋台。かよは、あれだけ世間を騒がせて離婚した二人が、なぜ一緒にここへ来たのかと緊張する。離れた席に座り、かつてのことを少しずつ語り始める二人。蓮子はこの日ようやく伝助と和解し、直接さようならを伝えることができた。
さて、それから2年が経った大正15年。必死で働いたかよは、小さいながらも自分の店を持った。その開店祝いに、花子や蓮子たちがやってくる。蓮子と龍一の間には二人目の子ども・富士子が生まれ、幸せいっぱいの村岡家と宮本家。賑やかな祝いの席で、醍醐から蓮子について取材した本が出版されたという発表があり、盛り上がる一行。また、蓮子も小説を執筆することになったと話し、女学校出身の三人は、お互いの活躍に喜び乾杯をするのだった。
アユム ケサ エキリデシス
最悪の事態が村岡家を襲う
夏のある日。大森の村岡家へ、甲府から吉平とふじがやってくる。花子と英治が海水浴に誘ったのだ。歩(横山歩)は早くも水着を着て、海に行くのを楽しみにしていたが、翌日外は大雨。海水浴はまた今度にしようと花子に言われ、すっかりへそを曲げた歩は泣き出してしまう。次の日曜日にこそ海水浴に行くと約束した花子の元に、梶原が急ぎの仕事を持って現れる。花子は寝る間も惜しんで翻訳の仕事を進めるが、約束の日曜日、翻訳の仕事は終わらず、またもや海水浴は延期となってしまう。
そんな中、歩が突然の高熱に見舞われる。医者に診てもらうと、歩は疫痢の可能性が高いとの診断だった。疫痢は、当時たくさんの子どもたちが命を落とす最も怖い病気とされており、花子と英治も気を落とすばかり。看病の末、もう時間がないと医者に告げられた花子は、歩を抱きかかえる。最後の力を振り絞り「お母ちゃま、お母ちゃま…」と呟く歩に、「はい、はい」と返事をする花子。その日の明け方、歩は花子の腕の中で静かに息を引き取るのだった。
歩の死を受け入れられず悲しみに暮れる花子と英治。葬儀の翌日、村岡家を訪れた蓮子が、花子にいくつかの歌を贈った。蓮子の歌に力をもらった花子は、机に向かうと、翻訳の仕事を徹夜で終わらせるのだった。仕上がった原稿の確認中、原稿の間に歩への手紙を見つけた梶原は英治に手渡すが、そこには、花子の悲しみと後悔の気持ちが綴られていた。
英治が話しかけると、花子は、歩を海に連れていけばよかった…と後悔を語り出した。そんな二人を見ていた蓮子が、これから海に行こうと花子を誘い、三人は海へ。「私みたいな母親のところに生まれてこなければよかったのに…」と泣き崩れる花子に、英治は歩が花子のところを選んで生まれてきたことを話す。そんな二人を見守るように、突如美しい虹が空に現れた。それは、“お空の虹になった”歩からのお別れのメッセージのようだった。花子は、日本中の子どもたちに素敵な物語をたくさん届けることを誓い、歩に話して聞かせた物語を早速書き始めるのだった。
歩の死から6年。花子は、日本中の子どもたちに楽しい物語を届けたい一心で、児童文学の翻訳にまい進し、英治とともに、老若男女が楽しめる雑誌『家庭』を完成させる。近所の子どもたちからは“お話のおばさん”と呼ばれ、度々物語を話して聞かせていた。そんな花子の元に、ラジオ局JOAKの黒沢(木村彰吾)がやって来て、子ども向け新番組の語り手としてラジオに出演してほしいと頼まれる。あがり症ということもあり乗り気になれない花子だったが、ラジオが大好きだった歩のことを思い、語り手を引き受けることに。子どもにもわかるようなやさしい表現で話す「コドモの新聞」のコーナーは、子どもたちを中心に大反響を呼ぶのだった。
そんな中、北海道で幸せに暮らしていたはずのももが、見るからに憔悴した様子で村岡家にやって来る。ももは夫を亡くし、北海道での生活に耐え切れずに逃げ出してきたという。「一緒に暮らそう」と持ちかける花子だったが、ももは胸の内に溜めこんでいた気持ちをぶつけ反発する。しかし、後日花子が放送を終えて帰宅すると、英治が慌てて迎えに出てももが来ていると言う。花子は喜び、ももは村岡家で暮らし始める。
数日後、ももが掃除をしていると、不審な男が庭に現れる。花子と英治が捕まえると、売れない絵描きの旭(金井勇太)だった。旭は、ももに絵のモデルになってほしいと言う。絵を描きながら打ち解けるふたりを微笑ましく見守る花子と英治だった。絵の仕上がりを見て一同が喜ぶ中、旭は突然ももにプロポーズする。とっさに断ってしまうももだったが、旭の真摯な想いを聞き、結婚を受け入れるのだった。
それから一年後には、ももと旭の間に元気な女の子「美里」が産まれる。その子は、なんと歩と同じ誕生日だった。この頃からラジオ「コドモの時間」は軍事関係のニュースが多くなるが、花子はあくまで子どもたちに親しみやすい内容になるよう心がけていた。そんな折、旭が体調を崩し、結核にかかってしまう。ももは花子に、旭の看病に専念したいので、しばらく美里の面倒を見てほしいと頼む。ある日、美里の子守をする花子の元に、英治が子犬を連れて帰ってくる。その子犬は「テル」と名付けられ、村岡家の一員となるのだった。
5年がたった1938年(昭和13年)。ももと旭の間にもう一人女の子が生まれ、美里(岩崎未来)は、花子と英治の養女となっていた。日中戦争が勃発したことで、花子が読む「コドモの新聞」のニュースも、軍事に関するものが大半を占めるようになっていた。そんな中、宇田川(山田真歩)から従軍作家として戦地へ行くという報告を聞き、驚く花子と蓮子。国のためにと意気込む一同の様子に戸惑う花子と、耐え切れずその場を去る蓮子だった。
そんなある日、ブラックバーン(トーディ・クラーク)が村岡家を訪れる。カナダに帰国することになり、お別れを言いに来たという。ブラックバーンから「あなたの翻訳は、二つの国の友情のシンボルだ」と言われ、夢を託された花子は、瞳を潤ませるのだった。
ラジオの語り手を続けていた花子だったが、ラジオが徐々に戦争の話題に染まっていった。そんなある日、恩師のスコット(ハンナ・グレース)が、一冊の本を持って村岡家を訪れる。花子が出会ったその本こそ、後の日本で愛されることとなる『赤毛のアン』の原書『ANNE of GREEN GABLES』。日本が戦争へと向かう中、日本とカナダをつなぐ大切な一冊が花子の手に託されるのだった。
1941年(昭和16年)12月8日。ラジオから流れる日米開戦のニュースに花子と英治はがく然とする。やがて「緒戦は日本大勝利」とのニュースが流れ、人々は歓喜に沸くが、「コドモの新聞」の放送を心配する花子はラジオ局へと向かう。ラジオ局はいつになく殺気だった雰囲気に包まれていた。その日のニュースは、内閣情報局の役人が語り手を務めるが、一方的に押し付けるような内容やその荒々しい声に驚き、やるせない気持ちでその場に立ち尽くす花子。戦争一色になるであろうこれからのラジオ放送に失望し、その日をもって「コドモの新聞」を辞めることを決める花子だった。
開戦直後は日本軍の連戦連勝が伝えられ、人々は高揚していた。戦争のニュースを伝えたくないとラジオを辞め、英語の仕事をしている花子は、近所の人たちからなじられることも…。1943年(昭和18年)秋には、日本の戦況は坂を転げ落ちるように悪化。兵力不足による学徒出陣が始まり、花子たちは防空演習や灯火管制の見回りなど、本土決戦に備えることになった。食料をはじめ、あらゆる物が日を追うごとに無くなり、花子たちも細々と暮らしていた。
そんなある日、吉平が村岡家を訪れる。花子たちに米や味噌を届けるとともに、疎開を勧めに来たのだ。花子はその提案にのり、子どもたちを甲府に疎開させることに。初めて安東家を訪れた美里と直子(ももの娘)は、吉平やふじに温かく迎えられるのだった。二学期が始まり、甲府の学校に通い始める二人だったが、美里は新しい環境になじめない様子。花子は美里を心配しながらも東京へ戻るが、その晩、原因不明の高熱に襲われる。高熱の原因がジフテリアとわかり、花子は2か月ほど間隔離されて病気と闘った。
1944年(昭和19年)11月24日。武蔵野の軍需工場とその付近が攻撃され、品川、荏原、杉並にも爆弾が落とされた。花子が病気から回復した頃、ついに東京が戦場となり、空襲警報の度に、命を奪われる危険を身をもって知ることとなる。空襲が激しくなる中、花子は家中の原稿用紙をかき集め、『ANNE of GREEN GABLES』の翻訳に取りかかった。避難するときはいつも原書と辞書だけは忘れずに抱えていった。花子は、自分が生きた証としてこの本だけは訳したいと強く祈るのだった。
「花子とアン」初心者が
番組を観て思いのままに綴る✍